弱女と悪夢を漂う懺悔室

人生詰んでるリケジョ(笑)

夢なら本当に幸せになれるんだ

私は間違いなく異常者だ。正常とは善悪だとか綺麗ごとの上での正しさなどとは関係なく、大衆的か、(表面上)大衆の役に立ってるかどうかだけが問題であり、そうでなければ異常者だからだ。今の大衆の価値観と正義は私の話すこと全てを敗者の妄言にし、自己責任論を私を罰するためだけに振りかざし、"みんな"のために安くあるいは素晴らしい働きをするように求める搾取を努力と言い換えてるだけだ。

 

私はいま非常に苦しい。身売りすることだけは絶対にしない以上、金が尽きたら自決か餓死かの二択しか無く、早かれ遅かれ決断を迫られる。弱者同士での傷の舐め合いに夢中になれるタイプではないし、彼氏が出来ても本音で話さない薄ら寒い関係になりすぐに上手くいかなくなるだろう。それにセックスはしたくない。他責にさえしていれば自尊心を保てるようなタイプでもない。なまじ努力家だったせいで自分のポテンシャルはおおよそ見当がつくので「本気でやれば上手くいく」なんて微塵も感じられない。資格でも取るか?よほどの高難度でなければ取れるだろう。それで就職して何が変わる?変わるのは給料だけだ。社会が厳しいことは知ってる。もう十分だ。

 

なろう小説とかいう短絡と汚い欲を写したような俗物作品群がある。世の弱者らはあれの主人公に自己投影し承認欲求や性欲を満たせるらしい。ホントかどうかは知らない。だが私はあれになりたい。なろう小説を読みたいわけではない。どんな自分にもなれてどんな自分でも許してもらえる、何から何まで都合が良い妄想世界に閉じこもっていたいのだ。認知している現実とは脳が見せているものに過ぎないのだから妄想も現実になれるはずだ。

 

どういう妄想の中にいたいのか、具体的なことはひとまずどうでもいい。ただ私は誰かを愛し愛されたい。その前に自分の傲慢さを認め、人を憎んでいたことを心の底から懺悔して、赦されたい。そして私が受けたことの全てを赦したい。そうすれば人と心を通わせることが出来る思う。愛されている限り私は身を捧げて戦い、何一つ疑うことも恐れることも無く、きっと満足して死ねる。それは幸せだ。

 

これは妄想でしか実現しようが無い。そして死の恐怖を克服する鍵でもある。

 

はたから見れば無職女が発狂して踊り狂いながら死んだように見えるだろうが、そんなことはどうでもいい。現実の人間を少々認めたり認められたりすることが、何も持たず全て劣る弱者にとって何の助けにもならないばかりか、都合よく搾取されすり減らされる隙を与え侮辱されるだけだということが私には分かっているというだけのことだ。

 

そう簡単に都合よく自己洗脳出来ないのは分かっている。だが幸せになるビジョンさえ失わなければきっと出来る。