聖弱女呪詛教会

人生詰んでるリケジョ(笑)

ブログ名が未だに決まらない

初期は「Bunker懺悔室」、次は「弱女と悪夢を漂う懺悔室」だが何もしっくりこない。このブログを懺悔室としているが大して懺悔していないからだ。

 

当然私も罪深い人間の一人であり懺悔することが無いわけがないのだが、とにかく人間が憎いと言うばかりで赦しを請いていないのだ。他者を赦さないのであれば自分も赦されるべきではないのだ。

親にかけた迷惑や学生時代にいじめられていたのを言い訳に他のいじめられっ子の味方をほとんどせずに引きこもった後ろめたさから解放されたいが家で懺悔したところで何の意味も無い。私が善なるものでありたいと願うことや正義感を持つことに何の価値も無い。ただ私の身心を経済のための供物として捧げ、疲労で神経麻痺させ都合の悪いことは全部忘れて欲さえ満たせば良いみたいな価値観に絶望しか感じない。

 

科学や神話的な意味で世界の仕組みには興味あるが、現実に生きている社会の仕組みには全く興味が無い。人間にもそれほど興味ない。ただ善なるものだと信じたくはあった。愛したり愛されたりはしたかった。後ろめたさを感じない人間がいるなんて信じられなかった。自分の感情や欲のまま狡猾に他者を傷つける人間しかいないことに絶望した。もう二度と社会に出ることは出来ない。人を信じられない。

 

ここまで書いてようやく気付いた。私は私も含めた皆が己の罪を懺悔してほしいと思っていたんだ。自分の醜悪さを自覚すれば清い心を取り戻せるんじゃないかと思っていた。あまりに幼稚だ。今の社会は団塊世代が産み落とした低俗な忌子ばかりで清らかな心など初めから持っていない。だから異常なほど利己的で人を平気で傷つけるんだ。それに皆が懺悔したからといって私がニートであることや人間不信であることの何の解決にもならない。一体何がしたいのか分からない。

 

やめだやめだ。ブログ名を変えよう。

誰一人救いようがないのだから、単純に終末と絶望を感じるようなブログ名にしたい。