聖弱女呪詛教会

人生詰んでるリケジョ(笑)

大衆の言うとおりにするのはやめろ

弱者の敵が上流階級どころか一般大衆であるというのはまさしく絶望と言えるだろう。上手くいかなかったことの全てが努力不足に集約され、容姿や性格の醜さを人格否定にまで飛躍させ罵詈雑言を公言する一般大衆の野蛮さには恐れ入る。

 

よく挙げられる努力に、良い大学へ行くことや資格を取ることを言われるがこれらは人生を良くするうえで殆ど役に立たない。実際必要なのは厚かましいまでのコミュニケーション能力と要領の良さ、ほどほどの能天気さ、そして何かあったときに何となく人のせいに出来る魔術である。これさえあれば底辺職でも上手くやっていけるので学歴も資格もいらない。学歴は何の役にも立たないが、大衆はもっと勉強しておけばよかったという後ろめたさを抱えているので、社会的弱者は当然努力不足だと決めつけコンプレックスの発散のために叩くのである。

 

整形などの美容ビジネスに迎合することを努力とし、容姿が醜いことを努力不足と罵れるようにしたのも大衆である。弱者男性の性格の悪さについては私も物申したいところではあるが、大衆が弱男をわざわざ作り出し陰湿な攻撃をすることを棚に上げて弱男は欲深で自己保身ばかりのクズだと言うのは恥知らずと言えるだろう。

 

物申したいことというのは、大衆が肉体的精神的に搾取し続ける邪悪であるならば、せめて弱者は薄幸ながら清貧で心清らかであるべきだったのだ。自分と同じ弱者に手を差し伸べるような人間となって善行を積み上げることで、大衆が如何に醜い存在かを自覚させる必要があった。弱者が醜く振る舞うほど大衆の邪悪さが霞んで見えてしまうのだ。

 

だから大衆の言うとおりにするのはやめろ。金とセックスで大衆はイカれてる。欲の奴隷の言うことを真に受けるな。欲の奴隷になるな。大衆の築き上げた多数派だからというだけの理屈に疑問を持て。バカだと安っぽい陰謀論にハマったりするかもしれないが、それでも構わないだろう。「みんなにバカにされないようにしよう」なんて今更なんの意味も無い。ただ疑問を持つことと勉強を生涯し続けることだけは忘れるな。大衆が如何に愚かで救いようが無いかということがわかれば人生を終える準備も自ずと出来るだろう。

 

幸せになろうと思うな。人生とは戦いである。そして大衆と違うということはそれだけで特別なのだ。